札幌高等裁判所 昭和45年(ラ)17号 決定 1970年7月10日
抗告人 農林大臣
訴訟代理人 香川保一 外八名
主文
本件抗告を棄却する。
抗告費用は抗告人の負担とする。
理由
抗告人は「原決定を取り消す。札幌地方裁判所昭和四四年(行ウ)第一六、第二三、第二四号保安林解除処分取消請求事件について、裁判長裁判官福島重雄に対する忌避は理由がある。」との裁判を求め、その理由として別紙のとおり主張する。
しかし、当裁判所も、本案事件(以下「長沼事件」という。)の審理を担当する福島裁判官につき裁判の公正を妨ぐべき事情があるとは認めがたく本件忌避の申立は理由がないと判断するものであつて、その理由は原決定の理由中の説示と同一であるから、これを引用する。
抗告人が本件抗告理由として主張するところは、要するに、青年法律家協会(以下「青法協」という。)が自衛隊反対運動と基調を同じくする安保廃棄等の政治活動方針を有する広い意味での政治団体である以上、右政治活動の具体的実践の場として、当然、長沼事件等の基地訴訟の支援活動が考えられるのであり、その会員である福島裁判官が長沼事件に関与すると、国民一般の社会良識からして、福島裁判官は右青法協の政治活動方針に同調し、または影響される立場においてその裁判に関与するものとの疑惑を生ずるのが当然であるから、福島裁判官が右のような青法協の会員であるという事情だけで忌避の理由があると解すべきである、というに帰する。
しかし、前記(引用の原決定説示)のように、青法協の右のような政治活動方針が一般に会員裁判官を拘束するものとは認められないし、福島裁判官が右のような青法協の活動方針の企画、立案に関与したとか、その他青法協の政治活動に参加したとかの事実も認められないのであつて、福島裁判官が長沼事件の裁判に関与するにつき、青法協の右のような政治活動方針に影響されるおそれがあると疑うべき具体的事情は認められない。
してみれば、青法協の規約に掲げられたその目的、事業等にも照らして考えるとき、福島裁判官が単に青法協の会員であるというだけの理由で、長沼事件を担当する同裁判官につき裁判の公正を妨げる事情があるということはできないものと解するのが相当である。
よつて、本件忌避申立を却下した原決定は相当で本件抗告は理由がないので、これを棄却することとし、抗告費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九五条を適用して、主文のとおり決定する。
(裁判官 武藤英一 秋吉稔弘 花尻尚)
抗告の理由
一 裁判所は、その内容において客観的に公正でなければならないことはいうまでもないが、さらに、国民一般からみて公正を充分に期待し得る状態、姿勢が保持されていなければならない。かかる外部的公正の保持のために、民事訴訟法は、除斥、忌避及び回避の制度を設けているのであるが、忌避の制度に関する同法第三七条第一項の「裁判官ニ付裁判ノ公正ヲ妨グベキ事情アルトキ」とは、当該裁判官についての当該裁判に関連するある客観的事情によつて、国民一般の客観的に妥当な社会良識からみて、その裁判の公正について当事者に疑惑、懸念をいだかせるに足りると認められる場合をいうものと解すべきであつて、必ずしも、裁判官の職務違背の疑い(それは裁判官の懲戒ないし弾劾に通ずる問題である。)ともいうべき不公正な裁判をする疑いのもたれる場合のみを意味するものではない(除斥の制度においても、除斥事由によつて当該裁判官が不公正な裁判をするおそれがあるとされる程裁判官の人格が信頼されないものでは決してないが、外部からみて公正な裁判について疑惑がもたれるおそれがあることから、法定の客観的な関係があるだけで当該裁判官が当該裁判に当然関与すべきでないものとしているのである。また、回避の制度も、当該裁判官が公正な裁判をすることの自信がないことを自認するものでは全くなく、外部から裁判の公正について少しでも疑惑のもたれるおそれがあつては裁判の権威に関するから、積極的に自ら当該裁判に関与しないのである。)従つて当該裁判官について、その関与する裁判と関連するある客観的事情が存する場合には、当該裁判官が主観的にいかに裁判の公正を妨げられるおそれなしと信じ、又は公正の保持につとめるとしても、その客観的な事情によつて、一般国民からみて裁判の公正について疑惑がもたれるおそれがあることから、忌避の裁判又は裁判官自らの回避によつて、当該裁判官が当該裁判に関与することを避けることとしているのである。
二 以上の忌避の制度の趣旨から考えて、青年法律家協会(以下「青法協」という。)が長沼事件に直接又は間接に関係のある安保廃棄及びこれに連なる自衛隊反対の政治活動を行なつており、その当然の具体的活動として長沼事件その他の基地訴訟の支援活動を行つているものと認められ、福島裁判官がその青法協の会員であるという客観的、具体的事情によつて、福島裁判官が当該長沼事件そのものの裁判に関与することは、国民一般からみれば、その裁判の公正について疑惑がもたれるおそれがあり、裁判の外部的公正を保持することができないものというべく、正に「裁判ノ公正ヲ妨グベキ事情アル」ものと思料するのである。
三 従つて、抗告人の見解は、原告が既に認定した「青法協が、自衛隊運動と基調を同じくすると思われる安保廃棄等の政治活動をも有する広い意味での政治団体」であり、福島裁判官がその青法協の会員であるという客観的事情のみによつても、忌避の理由があるものと解するのである、けだし、青法協は、前記のような政治活動を行つている団体であり、しかも裁判官、弁護士等をもつて構成されているものである以上、青法協の前記安保廃棄、自衛隊反対等の政治活動の具体的実践の場として長沼事件等の基地訴訟が当然考えられるのであり、福島裁判官が、青法協の会員としてかかる青法協の基本的政治活動方針に同調し又は影響される立場において長沼事件の裁判に関与するものとの疑惑、懸念を生ぜしめることは、国民一般の客観的妥当な社会良識として当然のこととされるのであるからである。
しかるに、原審は、忌避の理由としては、以上のような客観的事情のみでは足りないものとし、青法協が「組織として本案事件の支援活動を行なつているものでなく」、「青法協の前記活動方針も会員たる裁判官の職務活動を一般的に拘束するものとは認められない」し、福島裁判官の所属する「裁判官部会が青法協内部において職業上の制約を考慮した独自の存在として認めており」、「福島裁判官は裁判官部会の一会員であるにとどまり青法協の重要な組織活動に参加していない」から、「同裁判官が青法協の前記活動方針に心理的拘束を受けるべき立場にない」とし、「以上のような事情と裁判官の独立及び身分が憲法上の制度として保障されていることを勘案すれば」、前記のような青法協の実体及び福島裁判官がその青法協の会員であるというだけでは、裁判の公正を疑わしむべき具体性に欠ける」から、忌避の理由がないものとしているごとくである。かかる原審の判断は、その文辞ないし趣旨が必ずしも明確でなく、理解し難いけれども、民事訴訟法第三七条第一項の規定の解釈並びに事実の認定及びそれに伴う法律的判断を誤つているものと考える。
(1) まず第一に、原審は、却下理由の一つとして、青法協が「組織として本案事件の支援活動を行つているものではない」という点を挙げている。本件忌避事由の事実要件の一としての青法協の実体としては、長沼事件に直接関係する安保廃棄、自衛隊反対の活動を青法協が行つているものとされれば足り(そのことは具体的個別的にいえば、長沼事件の基地訴訟の支援活動である。)、青法協において形式的、表現的に長沼事件の支援活動の決議がされていなくとも何らさしつかえないのである。しかるに、原審が忌避事由の事実要件の一つとして、青法協が組織的に長沼事件の支援活動を行つていることを要するもののごとく解しているのは、法律的見解を誤つているのみならず、右の事実認定においていわゆる物の見方、考え方が浅薄であり、誤つているものといわざるを得ない。
(2) 次に、原審は、「青法協の活動方針も会員たる裁判官の職務活動を一般的に拘束するものとは認められない」とし、かかる拘束の認められることが本件忌避事由の一の要件でもあるかのごとく判示しているが、会員たる裁判官の「職務活動」であるし、かかるあり得べからざる拘束を忌避事由の要件の一と解するがごときことは、到底理解し得ないところである。
(3) 第三に、原審の認定している「裁判官部会」については、本年四月十二日の青法協全国拡大常任委員会において「職能別独自活動の実態を尊重し、職能別部会制を組織の基本とする」ことを暫定的に決め、本年六月の全国総会で討議するもののようであつて、現在組織上裁判官部会なるものは存在していないし、事実上裁判官部会的なものが存在するとしても、それは青法協の傘の下にあり、青法協とは別個の団体でないことはいうまでもないのであるから、職能的ニユアンスの相違があるとしても、全体としての青法協の活動方針を形成している構成分子であり、その活動方針等に従うものであることは当然であつて、別個独自の存在で青法協の影響を何ら受けないと主張しても、かかる主張は、常識的に通用し得ないものである。従つて、原審の福島裁判官が青法協の前記活動方針に心理的拘束を受けるべき立場にない」としている認定は、極めて合理性、客観性を欠くものであり、福島裁判官がかつて青法協所属の裁判官グループの機関誌である「篝火」の編集責任者でもあるし、現に実質的な先輩格の会員である以上、外部からみて青法協の前記活動方針に同調し又は影響を受けるものと一般的に考えることは当然である。
原審は、福島裁判官がかかる裁判官部会の一会員であるに過ぎず、青法協の重要な組織活動に参加していないものと認定し、福島裁判官が青法協の重要な組織活動、すなわち安保廃棄等の政治活動に参加していなければ忌避事由の要件を欠くもののごとく判示しているが、もし、福島裁判官がかかる政治活動に参加しているとすれば、それは裁判所法第五二条第一号違背の問題であつて、本件忌避事件においてかかる問題を惹起する程度にまで青法協の活動を行つていなければ忌避事由がないとする解釈は、正当とはいえない。
(4) 最後に、原審は、前述のごとき長沼事件に直接間接関係のある政治活動を行つている青法協の会員である福島裁判官が長、沼事件の裁判に関与することが許されるか否かについて、前記の原審認定のような事情と「裁判官の独立及び身分が憲法上の制度として保障されていること」を勘案すれば、忌避の理由がないとしているが、裁判官の独立及び身分保障がいかなる意味において忌避理由の存在に消極的要素として勘案されるのであるか甚だ理解に苦しむところである。おそらくは、裁判官の独立と身分保障により裁判の公正保持が充分果されているから、忌避事由はこれを厳格に制限的に考えるべきであるとするのかも知れないが、裁判官の独立及び身分保障は、いずれも裁判の公正保持のための一般的な外部的保障であり、一般に裁判の内容的公正を図るものであることはもちろん、その公正についての疑惑を生じさせないため外部からの介入を防止しているものであつて、忌避の制度は除斥、回避のそれと同じく、具体的な裁判について、当該裁判官とその関与する具体的裁判との関連において公正らしさについて疑惑を少しでも生じさせることのないように配慮した制度である。
裁判官に対するいわれなき人格的攻撃に類する忌避申立の濫用に対しては、これを厳しく排斥すべきが当然であるが、忌避制度の趣旨に照らして、本来裁判の公正らしさについて若干でも疑惑の生むおそれのある合理的、客観的な事情があるならば、むしろ裁判の権威のために忌避の裁判又は回避によつて当該裁判官がその裁判に関与しないことが妥当というべきである。かかる意味において、前記の原審の結論的見解は、極めて不明確、曖昧であり、理由不充分といわざるを得ない。
四 これを要するに、抗告人は、青法協の長沼事件に密接に関連するその政治活動等の実態と福島裁判官と青法協の関係の実態にかんがみて、福島裁判官が長沼事件の裁判に関与することは、裁判の公正に対する国民の疑惑を生ぜしめるおそれがあるものとして、忌避制度を設けた法の所期するところに従つて、忌避の申立をしているのである。青法協の政治活動等を批判し、あるいは裁判官が青法協に会員として所属することを非難し、又は裁判官個人の思想、信条を論議することは、忌避の申立とは無縁のことである。